故・岡崎律子を偲んで

1周忌になります。
某番組でもメッセージを送りました。(きっと詠まれる事でしょう)


あの突然の訃報から1年が経ちました。
哀しみという言葉では表す事の出来ない哀しみだったわけですが、それを次へのステップとなすために、岡崎さんの曲をきいています。
ただ「悲しい」だけでは次へは進めないと思います。


岡崎さんの残された功績というのは、とても大きなものです。
こうして誰かの心に残るということは大事なことですよね。


PS. 自らの地位を保ちたいというだけの理由(?)で、聖域改革に手をつけられない国会議員はいりません。本当にいい人は、地位より残した功績が大きくなることが大抵だと思います。
あなたはどれだけの功績が残せますか?自らの地位を失うことになっても、改革をなすことは果たして出来ますか?
これは私の心に秘めたる持論の一つ。